
座標:35.0293241918, 135.787003678
住所:京都府京都市左京区北白川西町78−1
かなりの数の窓が割れている光華寮。
北側。

夏になると壁を蔦が覆っています。
東側。

この建物は昭和6年(1931年)、土浦稲城が設計した洛東アパートという京都大学に通う学生向けのアパートでした。
その後戦時下となり、昭和19年(1944年)12月、全国の大学に通う留学生をこの建物に集めて集合教育を行うための留学生教育非常措置を発布。
昭和20年(1945年)4月、京都帝国大学が中華民国からの留学生だけを全寮制としたために、この建物を借り上げて名称を光華寮としました。
昭和20年(1945年)8月、敗戦によって集合教育は終了。
京都大学も管理をやめ、日本政府からの賃借料が滞り、持ち主が賃貸借契約の継続をしないことを表明。寮生だった中国人留学生は中華民国駐日代表団に援助を求め、昭和27年(1952年)に中華民国(=台湾)政府が買収するに至りました。
しかし、昭和47年(1972年)に日中国交正常化した際、日本政府は中華民国との国交を断絶し、中華人民共和国を中国の唯一の合法政府として承認したため、この建物が台湾のものか中国のものかという係争が起きました。
最終的な裁判所の判決は中国のものということで落ち着きましたが、縁もゆかりもない建物を中国政府になんとかしろと言ってもするはずもなく、現在のように治外法権が故の廃墟になっています。
ちなみにこの騒動は光華寮裁判や光華寮事件として有名なので、ご興味のある方は調べてみて下さい。
東南から。

非常階段部分は足場が組まれ、保護ネットで覆われています。不届き者が侵入しないための措置でしょうか。
ちなみに令和4年(2023年)6月に解体が終了し、現存しません。
数奇な運命に翻弄されなければ、戦前のモダニズム建築として、優美な姿で現在も利用されていたかもしれません。

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